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宮古湾海戦

みやこわんかいせん

この穏やかな宮古湾でかつて海戦があったとは信じられません。
・・明治2年(1869)3月、函館にたてこもる旧幕府軍追討のために、派遣された政府軍の艦船「甲鉄」以下8隻が宮古港に礎治していた。 旧幕府軍の艦船「回天」は25日早朝旗艦「甲鉄」を奪うべく侵入し砲火をあびせ壮絶な戦いを挑んだ。 これに対し政府軍は艦載機銃をもって応戦。約30分激しい戦いが繰り広げられたという。 両軍の死傷者は合わせて50余名に及んだ。 この海戦は1艦をもって8艦に挑んだ勇敢さとともに我が国初の洋式海戦として日本海戦史上その名をとどめた。

地元藤原にはこの戦いよって命を落とした戦士の供養碑があります。

市内大杉神社には東郷平八郎が残したこの海戦に関するメモが石碑となっている。